十二支を模った地蔵や仲良し地蔵など可愛らしいお地蔵様も見どころの一つとなっています。
どなたにでも立ち寄りやすい、開かれた寺院を信条に難しい説法、書物だけではなく、視覚的、感覚的に親しみやすい仏教を皆様に広めたいと思っております。


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当時の興りは、今よりさかのぼること四百有余年、天正二年(1574年)廖外尊廊大和尚(ろうがいそんろうだいおしょう)が今の地を開拓し、庵に住したのが始まりであると伝えられています。
その後、現在の興福寺として開山されたのは永平寺16世の法孫智外ァ察(ちがいけんさつ)大和尚の時であり、地元の侍大将原川伝右衛門氏の寄進により建立されたものであると伝えられています。

開基である原川氏は現在の袋井市にあった原川城の城主で、その武勇は遠州に原川兄弟有りとまで言われました。
徳川家康の遠州攻略の際、多くの武将たちが主君・今川氏真に見切りをつけ徳川に寝返るのをよそに掛川城に篭城、奮戦も虚しく落城、その後海路を辿り静浦の地に落ち延びて来たと伝えられます。
現在、静浦、島郷に多くみられる原川姓のルーツが、この原川氏と関連しているか否かは現在でも明確ではありません。
その後幾度か火災により諸堂、寳物、古文書等の多くを消失したため、当時の状況等にも 不明な点も多くありますが、原川家に代々伝承された原川氏の遺品である鎧兜は、現在でも当本堂に保存されています。

また当本堂に残る源氏物語を描いた大屏風は、五百年以上前に住吉派の画家によって描かれたものであると伝えられています。
昭和5年に改築された木造の本堂には彫刻や丸柱が残り、当時の建築様式が偲ばれます。また古くからの漁村である土地柄もあり、漁祈祷や金物除けの御札を求めに訪れる船主の人々もあとを絶ちません。
なお、八月の地蔵盆前後の日曜日には地蔵尊の大祭が行われ、門前の人々で賑わいます。




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