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2017年1月21日 : 喜び

二人が三人になった
あの瞬間の喜びを
いつまでも忘れないで
<境内の仲良し地蔵>
2017年1月8日 : 一人一人が

君のその役割は
誰も代わる事は出来ない
ひとりひとりが
かけがえのない
とっても大切な存在
2017年1月3日 : 真っ直ぐ

今の私って・・まっすぐ?
・・・本当に?
誰か・・・教えて・・
2016年12月15日 : 平和って?

互いに剣を振りかざしたまま
保たれているのが平和なのか?
2016年12月10日 : 旅立ち
なあんか 居心地
良くなっちまったなあ
そろそろどっか
出かけてみっか

2016年12月7日 : 心通じれば
一人だけでは、できない事
でも心通じれば、できる事

2016年12月5日 : 人生を語らず

そんなもん
今さら語らないよ
だって
おてんとう様は いつだって
ちゃんと 見てくれてるんだろ
2016年11月22日 : さとり


・・さとり

・・・さとり
2016年11月17日 : こだわり
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流行にも 常識にも
そして 逆境にも
何にも流されない
自分は 自分
2016年11月2日 : Shall We Dance

Shall We Dance ?
あの頃の 気持ちがあれば
また何かが始まるかもしれない
2016年11月2日 : 大丈夫

でゃ~じょ~ぶ
(大丈夫)
しんぴゃ~
(心配)
すんな
(するな)
[亡き父が酔った時の口癖]
二十数年前に亡くなった父とは、常にぶつかり合い、最後まで受け入れる事なく、互いの想いは長く凍りついたままだったのかもしれない。
しかし、自身が父の年齢に近づいて行く節目節目で、あの時の想いは、ひとつひとつ溶けだしていくような気がする。
2016年10月30日 : どっちの手?


ぱんっ!
右の手?左の手?
どっちの手が
鳴ったのかな?
右手だけでは音は鳴らない。
左手だけでも音は鳴らない。
音も、物も、そして自分自身も、この世の中のすべての存在は、たくさんの要素があい重なって、成り立っているという事なのかな。
2016年10月30日 : 放下著

放下著
(ほうげじゃく)
み~んな
手放してしまいなさい。
あなたが両手に抱えている、見栄やら嫉妬やら、しがらみやら。もうどうにも持ちきれないのなら、いいからみんな投げ出してしまいなさい。
後から必要な物だけ、ゆっくり拾っていけばいいから
2016年10月16日 : 眠り

誰も見ていないから
すやすや…
……スヤ…スヤ……
………suya……suya……
悩んだって仕方ない。わかってはいるけれど、でも苦しくて、不安ばかりの日々。
どうせ悩んでも解決しないのなら、しばし悩むことをあきらめて、眠りにその身を任せてみる。
眠りから目覚めたその時には、ささいな事だったと気づくかもしれない。
2016年10月11日 : ハーモニカを吹く人

忘れもの
門前のベンチに座り、毎日ハーモニカを吹いているお年寄りがおりました。レパートリーは裕次郎とか、懐メロとか。誰も聴いていない昼間にも、音色に誘われ近所の人々も集う夕方にも、そこには和やかでまた懐かしい風が流れていました。
いつか声をかけ、写真を撮らせてもらおうと思いつつ、きっかけが得られないまま日々が流れました。
ある日お年寄りは、突然この世を去りました。
きのうと同じように吹く風の中、もうあの音色が流れることはなくなりました。
私たちは誰もが、明日は今日と同じようにやって来ると信じています。しかし時は人々の生死(しょうじ)と共にゆっくりと、確実に流れて行きます。
だからこそ、日々の得難き出会いを大切にして、お互いの心を分かち合っていかなければならないのだと、実感させられました。
2016年10月5日 : 日々の暮らし

日々の暮らしが重荷であったり
なかなか夢が叶わぬ時は
ちょっと離れたところから
自分自身を眺めてごらん。
案外、 余計な重荷を背負いこんで
頑張り過ぎているのかもしれないよ。
2016年9月17日 : 祈り

祈り
雨の日も風の日も
ひたすらそこに立ち続ける
誰も気付くこと無く
通り過ぎても
あなたはその手を合わせ続ける
辻に立つ地蔵尊よ
誰のために、何のために
あなたは祈り続けるのですか
信じる人のために
そして信じぬ人のためにも
悩める人のために
そして満たされた人のためにも
心優しき人のために
そして驕り高ぶる人のためにも
あなたは祈り続けるのですか
この世に生まれ出ることなく
消されていく小さな命のために
正義という戦いの影で
消えていく
罪も無き人々のために
人の心を忘れ
罪を重ねゆく人々に
いつの日か
優しさを思い出させるために
たとえその身が朽ち果てようと
あなたは祈り続けるのですか
2016年9月16日 : 日々是好日
日々是好日
(にちにち これ こうにち)

何が幸せかって?
それはどんなに辛くたって、こうして毎日、笑ってられることだろ。
<境内の信楽焼のカエル>
〝住職の一言〟
日々の生活を思うに、幸せに感じる事よりも辛く感じる事の方が、はるかに多いのかもしれません。
どこからが幸せであって、どこまでが苦しみであるか、それは自分自身が気持ちをどこに置くかであり、他の誰かと比べても意味は無いことです。ましてや、無責任なメディアの情報などに左右される事などありえません。
苦しみを楽しみに変えていく事、それはあなたの心だけが成し得ることなのです。そして自分の価値観に自信をもって、有意義に生きて行くことが、大切なことなのかもしれません。
自分だけに与えられた 限りある人生、出来る事ならば、楽しく笑って過ごしたいものです。
2016年9月15日 : 仏さまの世界を彩る
中秋の風が運ぶ
季節の種子は
仏さまの世界を
ヤマブキ色に
飾りあげていく。

最近はご法事も自宅では無く、お寺の本堂で行われることが、ほとんどです。私としても法事の重なる土日などは、移動にかかる時間も無く、助けられている面もあります。
ここ数年はお供物やお花の用意を任せてくれる方が多くなりました。そんな時、お花は季節感のある美しいものを用意するよう心掛けています。
大自然の織り成す日本の美しい四季。この中にこそ、仏さまの世界は存在するのかもしれませんね。
2016年9月15日 : 庭に咲く花

どんなに汚れた世の中でも
誰も見向きもしない片隅でも
今日も咲き続ける花がある。
〝住職の一言〟
仏様は蓮華座に座られ、観世音菩薩は蓮の花 を手にされています。
蓮の花はお釈迦様の御教えの象徴と言えます。
蓮は泥田の中に、美しい花を咲かせます。どんな時代でも、どんな状況でも、何にも汚されること無く、正しく清らかな心を保ち続ける姿は、仏教徒の在るべき姿と言えます。
また、森羅万象の事象は私たちの目の届かない場所で、常に動き続けています。私たちもその大きな流れの中に、生かして頂いている事に気づき、日々感謝の気持ちで生きていかなければなりません。
2016年9月9日 : ちょっくら行ってくらぁ
「ちょっくら行ってくらぁ」

俺らの若い頃なんぞは、何かを知るにも手に入れるにも、手間を惜しまず自分の脚で歩いて行って、自分の目で見てきたもんだ。
今では欲しい物も情報も、指先一本で手に入る。便利な時代になったもんだ。
でもあの時代を生きていた俺らのほうが、案外幸せだったのかもしれないなぁ。
<境内のブリキのカエルの独り言>
2016年8月27日 : クリスタルボール演奏会
クリスタルボール演奏会
今年3回目の演奏会が行われました。今回は15名の方が参加下さり、45分の演奏をお楽しみいただきました。
次回は11月27日(日)19時からです。
申込みは
055-931-0276まで

クリスタルボールとは、水晶などの鉱物でできた楽器です。
共鳴する倍音に心癒されます。

2016年8月19日 : ホームページ開設のお知らせ

皆様に使いやすいサイトを目指して、内容を充実してまいります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。